祖父・伊藤祐親とは

敵討ちの話として知られる曾我兄弟の仇討ちですが、起点となるのが曾我兄弟の祖父である伊東祐親です。

ここでは兄弟による仇討ちが行われるに至る前段階として、祖父である祐親を中心に記述していきます。

祐親は平安時代末期の武将で、生年は不詳とされているものの1182年3月21日(寿永元年2月15日)に誕生したとされています。

伊東一族は現在の伊東市に居を構え、屋敷跡とされる場所には諸説ありますが、伝承によると「物見の松」がある伊東市大原にある伊東氏館が最も根拠ある場所で、ここは物見塚公園として整備されており、園内には祐親の銅像が建立されています。

祐親は平清盛の信頼が厚く、伊豆に流されていた源頼朝の監視役を任されていました。

しかし、あろうことか娘が頼朝と通じた事により平家の怒りを恐れ、実娘の八重姫と頼朝の子である千鶴丸を殺害し、さらには頼朝の暗殺を画策しましたが、失敗したとされています。

治承4年(1180年)の頼朝の挙兵後に、富士川の戦いで捕らえられ、娘婿の三浦義澄が頼朝への助命嘆願により赦されますが、過去の千鶴丸への仕打ちにより恥じ入り、治承6年に自害しました。

勇猛果敢な武将として知られ、「伊東祐親まつり」が毎年行われるなど、地元では英雄視されています。

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