仇討ち相手・工藤祐経

曾我兄弟の仇討ち相手となる工藤祐経に関しては詳しく知られていないのではないでしょうか。

常経は建久4年5月28日(1193年6月28日・ただし生年不詳)に、工藤祐継の子として生まれました。

父・祐継の死後に所領を継ぐと、叔父である伊東祐親が後見人となり、妻は祐親の娘である万劫御前を娶ります。

祐経は京に上ると平重盛の家臣となっています。

教養ある武人として知られており、「工藤一臈」と呼ばれ、後に静御前が鶴岡八幡宮社前で白拍子の舞を命じられた際に鼓を打ったとの伝承が残されています。

しかし、上洛していた間に祐親によって所領は横領、更に妻までも離縁されて勝手に土肥遠平に嫁がされていたという憂き目に見舞われています。

これがきっかけになって祐経は祐親に恨みを持つ様になってしまい、後に祐親を暗殺計画を練るようになり、決行されるも祐親の嫡男・河津祐泰を死亡させ、兄弟の仇討ちにと繋がります。

源頼朝が挙兵した後は、平家に反意を表して頼朝の御家人に納まりました。

そして、頼朝が巻狩りを開いた時に曾我兄弟によって敵を討たれて建久4年(1193年)5月28日深夜に没します。

敵役のイメージが強い祐経ですが、歌舞音曲に通じる教養ある人物としての評価も高く、祐経側から仇討ちを見てみるのも興味深いのではないでしょうか。

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