仇討ちの発端

工藤祐経と伊東祐親との因縁は、領主争いから祐経による祐親暗殺計画に発展しました。

祐経にとって、自分が在京中に所領を横領し、妻である万劫御前を奪われた憎しみは非常に大きいものがあったのでしょう。

機会をうかがう祐経は、1176年10月に祐親が近辺の武士たちを招いて行った伊豆地方の原野での巻狩の機に乗じて討つ事を考え、待ち伏せしていた郎党の大見成家ら刺客に矢を放たせます。

7日間に渡る巻狩が終わり帰路に着く頃、祐親と嫡子・河津祐泰の二人が突然射られ、その矢が祐通に当たり、それが原因となって命を落としたのです。

因みに河津祐泰は伊東氏の領地のうち河津荘をあてがわれていたために河津と名乗りました。

祐泰を射た刺客はその後に伊東方の追討により殺されていますが、首謀者たる祐経は事なきを得て、後に仇討ちされる事になります。

さて、亡くなった祐泰には2人の幼い男児があり、この兄弟こそ曾我兄弟となります。

未亡人となった祐泰の妻・満江御前は、祐親に勧めもあり祐親の甥であるところの曾我祐信と再婚しました。

同時に2人も曾我の一族となり、父親の恨みを忘れずにいつか仇討ちをする事を心に決めて育つ事となりました。

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