曾我兄弟の仇討ち

曾我兄弟の仇討ちについて改めて述べてみましょう。

曾我兄弟の仇討ちは、鍵屋の辻の決闘(1634年) 、元禄赤穂事件(1702年、『忠臣蔵』のモデル)と並ぶ、「日本三大仇討ち」のひとつで、建久4年5月28日(1193年6月28日)に起きた事件です。

所領争いから恨みを持つ工藤祐経が、叔父でありかつての後見人であった伊東祐親の命を狙い、祐親と嫡男・河津祐泰の暗殺を計画して祐泰を亡き者にした事から兄弟の仇討ちが始まります。

祐泰の遺児・一萬丸と箱王丸が、成長して兄の一萬丸は元服して曾我十郎祐成となり、弟の箱王丸は一時は稚児として預けられるも北条時政を烏帽子親として元服し、名を曾我五郎時致としました。

成長を遂げるまでは苦しい生活を余儀なくされましたが、その中でも祐経への復讐心を忘れずに仇討ちの機会を探っていたのです。

そして仇討ちが決行された建久4年5月28日は源頼朝が富士山の裾野で盛大な巻狩りを開いていた最終日。

曾我兄弟は祐経の寝所に押し入り、本懐を遂げる事に成功します。

その後、兄の十郎は仁田忠常に討たれ、弟の五郎は御所五郎丸によって取り押さえられます。

兄弟の心境を知って助命を考えた頼朝も、祐経の遺児の願いによって斬首を命じる事になり、仇討ちは幕を降ろしました。

タラバ蟹 ずわい蟹 毛蟹@ご自宅用にも進物用にもどうぞかに激安

サイトMENU

Copyright (C) 2007-2011 曾我兄弟の仇討ち〜親子愛、兄弟愛〜. All Rights Reserved.