曾我兄弟の生い立ちに触れてみましょう。
兄弟は父が伊東祐親の嫡男である河津祐泰、母は土肥実平の娘である満江御前でした。
満江御前は伊豆の目代・仲成という男性の所に一度嫁いでおり、子ももうけましたが、後に祐通と結婚して兄弟の母となっています。
夫の祐泰が工藤祐経に殺されて後家となると、満江御前は舅の伊東祐親に勧められて祐親の甥にあたる曾我祐信と再婚をしました。
兄弟も伴っての再婚でしたので、兄弟は曾我姓となり、現代の小田原の中心街から北東7qあたりに位置した曾我の里で養育される事になりました。
兄弟の兄である一萬丸は元服して曾我の家督を継ぎ、名を曾我十郎祐成としています。
弟の箱王丸は箱根権現(今の箱根神社)に父の菩提を弔うように稚児として預けられました。
源頼朝が参拝した折には従者となっていた敵の祐経を見つけて狙いますが、逆に祐経に諭されて「赤木柄の短刀」を貰っています。
出家を嫌った箱王丸は縁者である北条時政(前妻が祐親の娘)を烏帽子親として元服し、曾我五郎時致と名乗りました。
兄弟が育つ間は厳しい生活を送っていたようですが、仇討ちへの決心は固く、父・祐泰が殺されてから実に17年もの歳月を賭けての敵討ちになりました。