仇討ちを決心するまで

曾我兄弟の仇討ちは「赤穂浪士の討ち入り」「伊賀越えの仇討ち」と並ぶ日本三大仇討ちとして知られており、歌舞伎や浄瑠璃の題材となって今日にまで伝わっています。

兄弟は幼くして父の河津祐泰を工藤祐経によって亡き者にされて仇討ちを決心しますが、仇討ちが行われたのが兄十郎22才、弟の五郎が20才の時ですから、仇討ちを行うには余りにも若いともいえるでしょう。

ここには本人以上に周りの意思も強く働いているのではないでしょうか。

ここでは、兄弟が仇討ちを決行するまでの周りの環境について記していきます。

遺児となった兄弟を伴い、母の満江御前は舅である伊東祐親の勧めもあって祐親の甥である曾我祐信と再婚をしました。

そして伊豆と相模の接する曾我の里で幼少時期を過ごしていますが、この辺りの土地ではいくつかの武士団が活動しており、元は同じ祖先を持つ伊東氏と工藤氏は、伊東祐親派と工藤祐経派に分かれて対立していた事が、より復讐心を駆り立てることになったのではないでしょうか。

更に平家方の祐親、かたや平家方から源頼朝の従者となった祐経に対する憎しみも増長される事となったはずです。

幼い頃から仇討ちと敵対心の入り混じる気持ちが芽生えていた可能性もあるのではないでしょうか。

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